今日はクスコからマチュピチュ遺跡まで移動して遺跡観光です。
6:45出発なので、5:15に起きて身支度します。私の方は体が少し重い程度ですが、さとみんはまだ体がだるく頭痛もあるようで元気が出ません。明らかに軽い高山病の症状で、朝食もジュースとフルーツを少しつまんだ程度で食欲が出ないようですが、標高3,400mクスコから約2,000mのマチュピチュまで移動すれば回復に向かうと思われます。
6:45にガイドのEdgerさんがやってきました。
まずは車で約2時間弱かけてオリャンタイタンポ駅に向かいます。道中いくつもの村を通り、美しい湖と最近アメリカからの移住者が住みEnglish Schoolもあるという街を見渡せる場所で記念撮影しました(地名は忘れてしまいました)。都会や観光地だけでなく、地方の様子も伺えて面白いです。


オリャンタイタンポ駅は小さな駅で、そこからペルーレイルに乗りマチュピチュ村へ向かいます。荷物は5キロ以下、3辺合計115cm以内との決まりですが、結構アバウトで機内持ち込みサイズ程度なら重量検査もなくフリーで持ち込まれていました。
列車はウルバンバ川沿いを走っていきます。シートは普通ですが、列車はかなり揺れるので、車酔いやすい人は酔うかもしれません。
1時間40分ほどでマチュピチュ駅に着きました。こちらも小じんまりとした駅で、駅を出ると土産物屋エリアで、レストランが立ち並ぶ通りに繋がっていきます。宿泊ホテル「Santuario Machupicchu」に荷物を置いて近くのバス乗り場からバスに乗り、マチュピチュ遺跡へ向かいます。終点まで約30分、狭い山沿いの道をガンガン登っていきます。
マチュピチュのゲートに着きました。入り口でID(パスポート)チェックを受けて入場します。散策ルートはサーキット1、2、3の3種類ありますが、我々は見どころスポットが多く一番人気のサーキット2です。階段を登っていくと、見たかったあの風景が目の前に飛び込んできました。

これです!この風景が見たかったのです!神秘的で圧倒的な景色が目の前に静かに佇んでいます。
昼からの時間帯は観光客も少なめで、撮影も余裕を持ってできます。天気も良く、空の青と山の緑をバックに遺跡が映えます。

マチュピチュが造られた理由は諸説あって、まだ解明されていないようですが、その一つとして、巨大な段々畑があるように農作物栽培のためではないかという説があるとのこと。

標高は2,000mありますが、年間を通して比較的暖かく、雨が多いので栽培に適しています。段々畑は山の斜面に下から粗い岩、細かい岩、土を順番に積み上げていて、とても水捌けが良く根腐れしないようになっているそうです。また石垣には防衛の役割もあり、いろいろ考えて造られています。
遺跡内にはアンデス山脈特有の動物リャマが放牧されていて、人に怯えることなく、餌の草を求めて遺跡内を歩き回っていて、時々ポージングするかの如く、崖の上で凛々しい姿を見せてくれました。

天体観測のための遺跡群もあり、石造りの時計のようなもので、冬至と夏至、春分と秋分を正確に把握して、農作物の種まきの時期などを決めていたそうです。

通称「マチュピチュ遺跡」と言われていますが、これは遺跡の正式名ではなく、本当の名前は未だわかっていないとのこと。16世紀にスペインがペルー一帯を征服した時に、マチュピチュの噂を聞いて近くまで探索隊が来たが発見されず、1911年に米国の歴史学者で、インディジョーンズのモデルになったHiram Binghamが別の遺跡調査に来た際に、ようやく発見されました。コロナ禍で遺跡が半年閉鎖され再開した時には、岩が苔で覆われて全く姿を変えていたそうです。何らかの理由で、住民が立ち去ってから短期間で森に覆われたことから、何百年もひっそりと発見されずにいたのでしょう。

以上はガイドのEdgerさん(「エドさん」と呼ばせていただきました)から聞いた話の一部ですが、エドさんはクスコ生まれなのに日本語が大変上手で、マチュピチュ、クスコ、ペルーなどの歴史や文化も非常詳しく、親切に楽しくガイドしてくれました。今回はHISのツアーで偶然ご担当いただきましたが、とても優秀なガイドでおすすめなので、マチュピチュ観光を検討される際にはご紹介します。(Lineで友達になっています)

クスコの3,400mからマチュピチュの2,000mまで下りたことで高山病の症状はなくなり、さとみんも完全復活し元気に散策できました。名残惜しいですが、16時ごろにバスで山を下りました。
夕食はオーナーがフランス人というレストラン「IndioFeliz」で地元の名物料理の一つ、マスのグリルとサラダ、ビールを美味しくいただきました。



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